国司家墓所及び墓碑 | 施設名 | 国司家墓所及び墓碑 |
| 説明 | 毛利氏の重臣国司家は、1625年(寛永2年)、就正(なりまさ)のとき、周防徳地から万倉に移封されましたが、正楽寺の荒廃した寺跡に菩提寺を建て宗吽寺としました。池の上方に墓所があります。国司親相(ちかすけ)は、蛤御門の変(1864年)の責任をとり福原越後ら二人の家老とともに自刃し、遺言により万倉に葬られました。 | | カテゴリ | 市指定文化財 | | サーブカテゴリー | 史跡 | | 指定日 | 2001-07-01 | | 管理者 | 個人 | | 場所 | 山口県宇部市大字奥万倉字黒杭1824 | | 製作 | 1625年(寛永2年) |
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